「ポケットと皺」
1.
トオルは運送会社で派遣として働いていた。新宿のとあるテナントビルで館内配送の業務に付いていた。トラックで運ばれて来た荷物を降ろし、台車に積み替え、各テナントに宛先を間違えることなく配達する。荷量も多くかなりスピードが要求される仕事だった。それだけに肉体的な疲労も強く、家に帰るとテレビを見ながら酒を飲んで寝るだけという毎日を送っていた。ただ、そんな毎日に決して満足はしていなかった。
ある日、仕事から帰宅し、いつもの様にテレビを見ていると、コンピューターネットワーク上の大規模なハッキングのニュースが流れて来た。なんらかの者により、国家機密や国を管理して行く上で重要なデータが攪乱された。銀行や証券会社もターゲットになり、個人データが消去され、経済にも混乱を与えた。データで荷物を管理する物流もストップしてしまった。
翌日、仕事場へ行くと物流が止まっていたので、荷物はわずかしか到着せず、午前中で仕事が終わり帰宅することになった。家に着いてもとりわけすることもなかったトオルは普段通り、横になりながらテレビをつけると、警察が今回の事件の犯人、つまりハッカーの追跡に動き出したと、昼のワイドショーで報道していた。同時に、国は早急にシステムの復旧を目指しているとのことだった。夜になると、上司から連絡が入り、システムが回復するまでしばらくの間仕事は休みになると伝えられた。
二日後、お昼にコンビニエンスストアに弁当を買いに外へ出ると、その途中背後に気配を感じた。明らかに誰かに付けられている。早歩きを始めるとその気配も早くなった。コンビニエンスストアで急いで買い物を済ませ、家に帰りドアを閉め、鍵をかけた。
次の日、朝十時丁度に、誰かがドアをノックする音が聞こえた。ドアの覗き穴を覗くと、四十代半ばくらいの黒いスーツを着た男が二人立っていた。
「何か御用ですか?」ドア越しに話しかけた。
「こちらは葉山トオルさんのご自宅で間違いないでしょうか?」という返事が返って来た。
「はい、そうです」とトオルは返答した。
「中野警察署の者ですが、お訪ねしたいことがありまして、お伺いしました。」
二人は刑事だった。おそらく、昨日の通りで感じた気配は彼らだったのだ。何も身に覚えのなかったトオルは、黙ってドアを開けた。
「三日前に起きた国家規模のハッキングの件なのですが、葉山さんに容疑がかけられていまして」と令状を見せられた。令状の内容は、パソコンのデータをチェックさせてほしい、というものだった。トオルは驚いたが、当然ハッキングの知識もなく、パソコンにはハッキング関係のデータもある訳はなかったので、素直に承諾した。二人は四時間かけてトオルのノートパソコンと外付けのハードディスクを調べあげた。当然、何も発見されず容疑も否認され、二人は帰って行った。トオルは何故ハッカーに疑われたのか不思議でならなかった。
この日を機会にトオルは変わった。いつ何が起きるか分からない、そして自宅に大切な物を置いておくと逆に危険な目に会うことを悟ったのだ。まず、大切な物を部屋の中から掻き集めた。日記、写真、手紙、預金通帳、本、思い出の品々。そして、街の隙間にそれらを隠すことを考えた。ただ隠すだけでは、人に発見されてしまう可能性や雨風にやられてしまう恐れもあるので、少し手を加える必要があった。それをトオルは「ポケット」と呼んだ。
街のあちこちに秘密の隠し場所を持った。例えば、地下鉄の駅のポスターを貼るボードには、駅員に気づかれぬ様にボードと同じアルミ素材でできた厚さ1mmの薄板を、ポスター1枚分のボード全体に張り付け、その薄板とボードの間に出来た隙間を自分専用のポケットとして利用していた。手紙など薄い物しかここには入れられないが、それらは、背景に溶け込んで気づかれることは難しい。
2.
コトミは新宿駅から徒歩15分の大手建築事務所にCADオペレーターとして勤めていた。毎日、山程の図面作成や修正をこなし、上司からの細かいチェックにも対応し、最終電車で帰宅することがほとんどであった。事務所に寝泊まりすることもあった。入所してから5年が経ち、精神的な疲労が限界に達し、仕事のスピードも入所したての頃と比べるとだいぶ遅くなり、毎日のように上司から怒られるようになった。
そんな毎日の繰り返しで、半年程前から統合失調症の一症状である関係妄想を抱く様になった。人の瑣末な身振りや言動、そして身の回りの物の色が気になって仕方なかった。コトミは混乱していた。一見無関係なものを関係あるものとみなし、それらが自分を威嚇する様なメッセージを持っていると考える様になってしまった。例えば、誰かが咳払いをすれば、自分の仕事が遅いことを忠告されているに違いないと感じ、誰かがヒソヒソ話をしていれば、きっと自分の陰口が言われているに違いないと、思い込む様になってしまっていたのだ。終には、事務所内の皆がこぞって口裏を合わせて自分を欺こうとしている、といった妄想を抱くまでになった。しかし、そんな妄想が彼女にとっては「現実」だった。
些細なことが気になってしまうコトミには、最近どうしても気になって仕方ないことが、ひとつあった。それは毎朝の通勤時に通りがかる新宿の地下道にあるポスターボードのわずかな色の違いとほんのわずかな膨らみだった。ある日、帰宅時にどうしても気になったので、勇気を出してボード横の隙間から手を入れると、中から一冊のノートが出て来た。表紙には、「日記 葉山トオル 2012年4月〜11月」と書かれていた。人通りの多いこの地下道でそれを読むのはためらいを覚えたので、スッとバックの中に入れ持ち帰った。新高円寺のアパートに帰宅するとすぐにノートを取り出し読み始めた。日記のほとんどが職場の不満やグチだったが、目に止まったのが、2012年6月10日(日)の日記だった。
2012年6月10日(日)
友人の誘いで、明清院という宗教セミナーに参加した。
2時間教えを聞き、1時間お祈りをした。
退屈な日々の中で、何か救われる思いがした。
宗教というものには、疑問を持つが来週も参加してみようと思った。
2012年6月17日(日)の日記にも目を通してみた。
2012年6月17日(日)
明清院に行った。
また、2時間教えを聞き、1時間お祈りをした。
腹の底からスッキリした。
世界観が広がる思いがした。
けれど、集団で盲目的に何かを信じるといった宗教というものには、疑問が
残る。
職場で集団的いじめを受けているという妄想を抱いていたコトミは、その発端は所長だと信じていた。所長は、自分を辞めさせるために、所員にコトミが困る様なことをするよう指示しているのだと思っていた。そんな、所員の皆が所長の命令を聞いて実行に移している状況に、宗教性の様なものを感じていた。なので、コトミはトオルの日記の「集団で盲目的に何かを信じるといった宗教というものには、疑問が残る」という一文に強く共感した。2012年6月24日(日)のセミナーを最後に明清院に行くのを止めたと、日記には記してあった。トオルの日記を読んで、コトミは事務所を辞めることを決心した。次の日、コトミはお礼の手紙を添えて、トオルの日記帳を元のポスターボードの所に戻し、辞表を提出した。
近頃、体が怠く、頭の混乱も抑えることができなかったので、精神科に行って診てもらった。統合失調症と診断された。コトミは、トオルに習って、この統合失調症の体験と闘病生活を綴った日記を書いてどこかに隠そうと考えた。もしかしたら、自分の様に誰かが発見し、その人のためになるかもしれないと思った。4ヶ月後、日記をノート一冊分書き終えたので、「日記 児島コトミ 2013年2月〜6月」と表紙に書いて、新宿地下道のトオルのポケットに仕舞った。
3.
世間を脅かしたコンピューターネットワーク上の大規模なハッキングの犯行集団は、事件からおよそ20日後に捕まえられ、事件は収束した。政府や企業の消去されてしまったデータはバックアップを取っていた物はなんとか修復することが出来たが、そうでないものは完全に消えてしまった。銀行の個人データも全てを修復することはできず、計35億円が消えてしまった。トオルは被害を受けることはなかった。そもそもたいした預金もなかったのだが。
トオルがポケットを作り始めてから、半年が過ぎた頃、ある休日の夕方にトオルは突然ポケットのことが気になり、ポケットとその中身を確認しに行くことにした。まず始めに、最寄りの新中野駅のポスターボードを見にいった。ボードには取り外されることなくポケットが付いていた。人目を気にしながら中身も確認してみると、ちゃんと2通の友人からの手紙が入っていた。次に電車に乗って西新宿駅のポケットも確認した。こちらも大丈夫だった。中には無事12枚のスナップ写真が入っていた。さらに新宿駅まで行き、改札口を出て、地下道のポスターボードを確認した。トオルは驚いた。中に入れていた自分の日記以外に、一冊のノートと一通の封筒が入っていた。ノートの表紙には「日記 児島コトミ 2013年2月〜6月」と記してあった。表紙を開いて中を見てみると、闘病記の様な物が書かれていた。封筒も開けてみると、手紙が入っていた。
拝啓
葉山トオル様
初めまして、児島コトミと申します。葉山さんの日記を偶然発見してしまい、
中を拝見させて頂きました。どのようないきさつで葉山さんがこのような所
に日記をしまわれているのか分かりませんが、葉山さんの日記の中の宗教体
験談の箇所を読んで、仕事を辞める決意をすることが出来ました。また、職
場での過剰なストレスで精神的に参ってしまい、混乱していた私はまずは病
院に行くべきだということに気づくこともできました。とても感謝していま
す。それと同時に、偶然にも葉山さんの日記を発見することができてとても
幸運だったと思っています。病院では統合失調症と診断されました。回復傾
向にはありますが、4ヶ月たった今でも、まだ精神的な混乱が続いています。
この4ヶ月、自分の体調を毎日、日記に記してきました。そして、この闘病
記が葉山さんの日記の様に誰かのためになればと思い、本当に勝手ながらで
すが、このスキマ(なんと呼べばいいのでしょうか?)に私の日記も一緒に
入れさせてもらいました。申し訳ありませんが、ご理解して頂けたらと思っ
ています。本当にありがとうございました。
児島コトミ 2013年7月4日
トオルはポケットとその中身が無事だったこと、そしてそのポケットを秘密裡に、人と共有できたことが嬉しかった。これを機に、ポケットについてもっと深く考えてみようと思った。大規模なハッキングと事件とその容疑者に疑われたことを切っ掛けに作ったポケットだったが、もっと大きな可能性を秘めている様に思えたからだ。
4.
トオルは家に帰り、早速パソコンの前に座り、ポケットのコンセプトなるものを書くことに取りかかった。しかし、文章を書くことが苦手なトオルはなかなか筆を進めることが出来ず、2時間程で書くのを止めてしまい、とりあえずいつもの様に酒を飲んで寝ることにした。次の日、午後7時に仕事を終え帰宅すると、また2時間程書いて止めてしまった。コンセプト作りは難航したが、そんな毎日を1週間程続けA4一枚程度のものを書き上げた。トオルはそれを紙にプリントアウトし、さらにメモリースティックにもそのデータを保存した。
プリントしたA4の紙は、新宿地下道のあのトオルとコトミの日記が入っているポケットにしまった。コトミに読んでもらいたかったのだ。一方、メモリースティックの方は、幼なじみのトモキに頼み込んで、トモキのリュックサックの肩のベルトの部分に同色のナイロン地のポケットを縫い付けさせてもらい、そこにメモリースティックを入れさせてもらった。こうすることで、トオルはデータの紛失を防ぎたかった。トモキはトオルに聞いた。
「ところで、このメモリースティックの中には、何が入っているの?」
「俺が半年前程に思いついて作ったポケットについてのコンセプトの文章」
「ポケット?」トモキは何のことだかさっぱり分からなかった。
不可解そうな顔をしているトモキにトオルは言った。
「それなら読んでみるかい?」
トオルは肩ベルトのポケットからメモリースティックを取り出し、トモキのパソコンのスイッチを入れ、USBに差し込んだ。画面に表れたアイコンをクリックするとwordが立ち上がり、トオルが書いた文章が表れた。トモキはそれを読み始めた。
「ポケットに関するコンセプト」
ポケットとは、Aの空間とBの空間の間に別空間として存在する空間である。それ自体が
物体としてあるわけではなく、隠されていて、折り畳まれている空間である。つまり、
二つの領域があった時に、内側と外側を分ける境界線があるが、その境界線にも幅があ
り、そこに無法地帯としての空間がある。この無法地帯に寄生することができる。この
寄生空間は、国家から自律して生活を作るために使うことが出来る。
空間には属さない境界線上の大きさを持たない領域が、ポケットによって空間そのもを
覆うぐらいの大きさを持ち、空間全体の主従が反転する。属さないことで、ひっくり返
る可能性がある。このとき、境界線=ポケット入り口になる。部分から世界が反転す
る。
客観的な情報としてある空間が、暮らしていると変な物が気になる。それを
気になったとたんに全体のシステムが全然違うものに見えてしまう。そう言
う経験があるという考え方がポケットである。
ポケットは、無意識的、匿名的、周縁的という点で、落書きに似ている。
後になって、誰かに発見される。ポケットは、客観的なものではなく、構
造の中に隠されていて、別の時間軸を持っている。見つけた人にしか分から
ず、それが意味を持つのは発見した当事者にだけである。特異な空間として
のポケットは、人に見つからない様な主観と客体のある特殊な繋がり方に特
徴があり、わかる人にはわかる分からない人にはわからないという暗号性を
持っている。通常の社会システムのかでは居場所がないという人が、ポケッ
トを持つことによって自分の世界を獲得できる。個人の領域の微分化=今こ
こに私の空間があるということを発見できる様になる。個というものが生き
て行くうえで、一般化できない、通訳できない、一緒の空間には住めないと
いう意識がポケットを作らせる。
ポケットは国家から、自分を、プライベートを隠すあるいはカモフラージュ
するシェルターである。隠すという人が持つ権利をなんとか行使した形がポ
ケットである。
「『暗号性をもっている』か」トモキは呟いた。
「面白そうだね。俺も作って見ようかな」
5.
トオルが帰った後、トモキはソファに座り、頭の後ろに手を組んで考えをめぐらせた。まず何をポケットに入れようか考えた。すぐに思い浮かんだのは、現金だった。というのも、トモキは半年前のハッキングの事件で預金150万円を失ってしまったからだ。そこで、もう一つの銀行の口座に入っているよきんからとりあえず10万円を引き出して、それをポケットにしまおうと考えた。トオルはこの時代、銀行にお金を預けておくのはもう危ないと、この前の事件で実感したからだ。そして、ポケットをどこに取り付けようかと考えたがあまり良いアイディアが思い浮かばなかったので、その日はとりあえず諦めた。次の日、会社から帰る道すがら、辺りをキョロキョロ見渡しながらポケットの設置場所を検討した。電話ボックス、電信柱、住宅の壁、どれもイマイチだと思った。さらに歩を進めると、コイン式パーキング場が目に止まった。このパーキング場は三方が高さ2m程のコンクリートブロックの壁で囲われていた。この壁の無効には住宅が建っていて、その間は30cm程しかなかった。トモキはこの隙間が使えると思った。このコンクリートブロックの壁の裏側、つまり住宅の方に面している面に、人目につきにくいポケットを付けられると考えたのだ。トモキは、次の休日の午前中に、コイン式パーキング場に向かい、ポケットの取り付けに取りかかった。あらかじめ用意しておいた厚手のビニール地の布をお札が入る程度の大きさに切り、その布の淵を専用の接着剤でコンクリートブロックに貼付け、そして雨が入らない様にフラップも付けた。最後に10万円を入れた。銀行に対する猜疑心からか、何かホットした気持ちになれた。今後も10万円ずつ入ったポケットを色んな所に作ろうと思った。
午後は、彼女のノゾミとデートの約束をしていた。原宿駅に12時に集合して、
ランチを済ませ、その後はショッピングをする予定だった。予定通り12時に落ち合い、裏原宿のカフェに入り、小さめのピザを二つとサラダを注文した。
「この前、トオルと会ったよ」
「元気にしてた?」
「元気にしてたよ。あいつ、俺に変わったことを頼みに来たんだ」
「どんなこと?」
「あいつ、俺のリュックサックにメモリースティックを入れるためのポケットを付けさせてくれって言うんだ。それで、俺は全然構わなかったから付けさせてやったんだ。ほらこれだよ」
トモキは、背負って来たリュックサックを椅子の下から取り出し、肩のベルトの部分に付いているポケットからメモリースティックを取り出して見せた。
「気づかなかった。面白いわね」
ノゾミは原宿駅で落ち合ってこのカフェまで歩いて来る間、トモキが背負っていたリュックサックのポケットに全く気がつかなかった様だった。
「それなら、もう片方のベルトにもポケットを付けようよ」ノゾミは提案した。
「何を入れるんだい?」
「私たち二人の写真を入れたメモリースティック」
「いいね。それじゃ早速今晩付けるよ」
テーブルの上にサラダが運ばれて来た。続けて2枚のピザも運ばれて来た。
「メモリースティックの中に入れる写真は今晩私がメールで送るわ」
「わかった。そしたら、メモリースティックはこの後、ショッピングのついでにどこかで買えばいいね」
二人は食事を済ますと、原宿の街をプラプラ3時間程歩き、その途中でトモキはメモリースティックを買い、ノゾミはTシャツを1枚買い、帰路に着いた。帰宅するとトモキは、トオルがポケットを作った時に余った布で、トオルが作ったのと同じ様に、もう片方の肩ベルトにポケットを縫い付けた。それから、2時間もするとノゾミから写真が添付されたメールが届き、それをメモリースティックに保存し、ポケットの中に入れた。
6.
コトミは病院に毎週通っていた。通院時には、必ず新宿地下道をとおるので、その度にポケットの中を確認していた。ある日、いつもの様にポケットの中を覗いてみるとコトミが入れた手紙がなくなり、コトミの日記の位置も明らかにいつもと違う位置にあった。きっとトオルが来たに違いないと思った。トオルのポケットを勝手に使ってしまったことをトオルがどう思っているか不安に思ったが、コトミの日記が捨てられずに残っていることを考えると、コトミは許しを貰えたのだと思った。その次の週、再びポケットの中を覗いてみると、文章の書かれたA4サイズの紙を見つけた。そこにはポケットのコンセプトが書かれていた。コトミはそれを読み、「通常の社会システムの中では居場所がないという人が、ポケットを持つことによって自分の世界を獲得できる」という一文に魅かれた。今の自分の境遇とマッチしたのだ。コトミは自分もポケットを作ろうと思った。コトミはその紙を持って近くのコンビニに行き、コピーを1枚取り、原本はポケットに戻し、家に帰った。
コトミは自宅に着くと、押し入れの中を探し始めた。5分も探すと目的の物が見つかった。それは、家政学を勉強していたコトミが学生の時に書いた卒業論文であった。コトミはこれをポケットに入れようと考えていたのだ。コトミは一人でポケットを使うのではなく、新宿地下道のポケットの様に、信用できる誰かとポケットという秘密を共有したかった。そうすれば、孤独が紛れるからだ。学生時代からの友人のリョウコなら話しに乗ってくれると思った。新宿地下道のポケットで起きた出来事は以前に話しをしていたし、コンセプトを読んでもらえれば、必ず理解してもらえると思った。実際にリョウコに会い、コンセプトを読んでもらうと喜んで協力してもらえることになった。コトミと一緒のゼミに所属していたリョウコもポケットに入れる物を自分の卒業論文にした。そして、二人は話し合った結果、電話ボックスにポケットを取り付けることにした。電話機が置かれているプラスティック製の箱形の台の内側面部分に、同色の厚さ2mmのプラスティック製の板を接着剤で貼付け、そこにできた隙間をポケットとして、二人の卒業論文とコンセプトのコピーを差し込んだ。
このようにして、ポケットのコンセプトをもとに模倣されることで、ポケットは少しずつ広がりを見せて増えて行ったのであった。